賃上げ促進税制【2026年改正】中小企業の要件・控除率と繰越控除の落とし穴
賃上げ促進税制とは|まず結論から
賃上げ促進税制とは、前年度より給与の総額を増やした青色申告の法人・個人事業主が、その増加額の一定割合を法人税額(個人は所得税額)から直接差し引ける制度です。根拠条文は法人が租税特別措置法42条の12の5、個人事業主が同10条の5の4。所得控除ではなく税額控除なので、効き方が大きいのが特徴です。
ただし、この制度は2026年(令和8年度)の税制改正で構造が変わりました。ここを取り違えたまま顧問先に案内すると、金額が数十万円単位でずれます。2026年9月時点で押さえるべき結論は次の3つです。
- 大企業向け(全法人向け)の措置は廃止された。令和8年3月31日をもって終了しています。
- 中小企業向けは存続しているが、教育訓練費の上乗せだけが廃止された。最大控除率は45%から35%に下がりました。
- 控除しきれない額の5年間の繰越控除は残っている。ただし繰り越すには、毎期の申告書に明細書を添付し続ける必要があります。
この記事で分かることは以下のとおりです。
- 自分(顧問先)が中小企業向け・中堅企業向けのどちらに当たるかの判定手順
- 中小企業向けの適用要件と税額控除率、法人税額の20%という控除上限
- 数字を入れた具体的な控除額の計算例と、繰越控除が発生する場面
- 5年間の繰越控除で最も多い取りこぼし(別表の毎期添付)
- 使う別表と、国税庁が名指ししている記載誤りのパターン
- 該当判定・給与データ集計・顧問先案内文をAIで下ごしらえする手順とプロンプト例
- 期限や控除率のような数字を、絶対にAIに答えさせてはいけない理由
2026年(令和8年度)改正で何が変わったか
まずここを正確に押さえないと、以降の判断がすべてずれます。国税庁が公表している令和8年度法人税関係法令の改正の概要(同ページに掲載されているPDF)には、賃上げ促進税制について次のとおり明記されています。
1 全法人向けの措置は、令和8年3月31日をもって廃止されました(旧措法42の12の5①)。
2 常時使用する従業員の数が2,000人以下である中堅企業向けの措置は、令和8年4月1日から令和9年3月31日までの間に開始する事業年度の適用要件について見直しが行われた上(措法42の12の5①)、教育訓練費に係る上乗せ措置が廃止されました。
3 中小企業向けの措置は、教育訓練費に係る上乗せ措置が廃止されたことを除き、現行制度が維持されています(措法42の12の5②)。
【適用時期】令和8年4月1日以後に開始する事業年度分の法人税について適用されます(改正法附則50)。
3類型が2類型になった
改正前は「大企業(全法人)向け」「中堅企業向け」「中小企業向け」の3類型でした。改正後は大企業向けが消え、条文上も条ずれが起きています。現行の措置法42条の12の5では、第1項が中堅企業向け、第2項が中小企業向け、第3項が繰越控除です。改正前は中小企業向けが第3項だったため、古い解説書や社内マニュアルの「第3項」という記載は現行法では繰越控除を指してしまいます。条番号でメモを残している事務所は、この機会に貼り替えておくのが安全です。
類型 | 現行の根拠 | 2026年9月時点の状況 |
|---|---|---|
大企業(全法人)向け | 旧・措法42条の12の5第1項 | 令和8年3月31日をもって廃止 |
中堅企業向け(常時使用する従業員2,000人以下) | 措法42条の12の5第1項 | 要件を厳格化のうえ存続。適用期限は令和9年3月31日 |
中小企業向け(中小企業者等) | 措法42条の12の5第2項 | 存続。教育訓練費の上乗せのみ廃止。適用期限は令和9年3月31日 |
繰越控除(中小企業向けのみ) | 措法42条の12の5第3項 | 5年間の繰越が可能。存続 |
中小企業向けは「教育訓練費だけ」が消えた
中小企業向けについて、改正前後の控除率を並べると差分がはっきりします。基本要件も上乗せの賃上げ率も、くるみん・えるぼしの上乗せも一切変わっていません。消えたのは教育訓練費の上乗せ(+10%)だけです。
項目 | 令和8年3月31日以前に開始する事業年度 | 令和8年4月1日以後に開始する事業年度 |
|---|---|---|
雇用者給与等支給増加割合 1.5%以上 | 15% | 15% |
同 2.5%以上 | 30% | 30% |
教育訓練費の上乗せ | +10% | 廃止 |
くるみん・えるぼし等の上乗せ | +5% | +5%(維持) |
最大控除率 | 45% | 35% |
控除上限 | 調整前法人税額の20% | 調整前法人税額の20% |
繰越控除 | 5年 | 5年(維持) |
実務でまず影響が出るのは、3月決算法人の令和9年3月期です。教育訓練費を積み増して45%を取りにいく前提で年度の予算を組んでいた顧問先には、早めに「その上乗せはもう無い」と伝えておく必要があります。逆に、2026年3月期以前の申告や更正の請求を扱う場面では、教育訓練費の上乗せは依然として生きています。どちらの年度の話をしているのかを常に確認してください。
公式の解説がまだ改正前のままという現実
ここが実務上いちばん危ないところです。2026年9月10日時点で、国税庁のタックスアンサーNo.5927-2 給与等の支給額が増加した場合の法人税額の特別控除(中小企業者等における賃上げ促進税制)は、「最大45パーセント」「教育訓練費の額が5パーセント以上増加」という改正前の内容のまま掲載されています。全企業向けのNo.5927も、廃止されたはずの措置がそのまま残っています。
これは国税庁が間違えているというより、タックスアンサーが「現在申告が行われている年度」も含めて案内する性質の資料であること、そして改正内容の反映にタイムラグがあることの表れです。同じ国税庁のサイトの中で、改正の概要(令和8年度)とタックスアンサーが違うことを言っている状態が現に起きています。
したがって実務の順序は、①条文(e-Gov法令検索の現行条文)→②改正の概要(国税庁)→③タックスアンサー・パンフレットです。①と②が一致していれば、③が古くても①②を優先します。この記事も、e-Gov法令検索の租税特別措置法で第42条の12の5の現行条文を実際に取得し、国税庁の改正の概要と突き合わせたうえで書いています。
自分の顧問先はどの類型か|判定の順序
検索してこの記事に辿り着いた方の多くは、「うちの顧問先は使えるのか」を知りたいはずです。判定は上から順に潰していきます。
ステップ1:青色申告書を提出しているか
白色申告の法人・個人事業主はこの時点で対象外です。あわせて、設立事業年度は適用できません。条文上、設立の日を含む事業年度は各項の対象から明示的に除かれています。「初年度から人を雇って給与を払っているのに使えない」という相談は毎年出ますが、これは制度設計上どうにもなりません。合併以外の理由による解散の日を含む事業年度と、清算中の各事業年度も同様に対象外です。
ステップ2:中小企業者等に当たるか
中小企業向け(措法42条の12の5第2項)の対象は、資本金・出資金1億円以下の法人(および資本を有しない法人で常時使用する従業員1,000人以下の法人)、農業協同組合等です。ただし、以下は除かれます。
- 発行済株式の2分の1以上を同一の大規模法人に保有されている法人
- 発行済株式の3分の2以上を複数の大規模法人に保有されている法人
- 適用除外事業者(事業年度開始の日前3年以内に終了した各事業年度の所得金額の年平均額が15億円を超える法人)
現場で見落としが多いのは適用除外事業者です。資本金1,000万円のままでも、直近3年の平均所得が15億円を超えていれば中小企業向けは使えません。ここは資本金だけを見て判断してはいけない箇所です。判定時期は原則として適用を受ける事業年度終了の時の現況によります(措置法通達 第42条の12の5関係)。
ステップ3:中堅企業向けに当たるか
中小企業者等に当たらない場合でも、常時使用する従業員が2,000人以下(かつ、支配関係のあるグループ全体の従業員合計が1万人以下)であれば、中堅企業向け(措法42条の12の5第1項)を検討できます。ただし要件は中小企業向けより厳しく、継続雇用者ベースで賃上げ率を測ります。
継続雇用者給与等支給増加割合 | 税額控除率 |
|---|---|
4%以上(改正前は3%以上) | 10% |
5%以上 | 15% |
6%以上 | 25% |
くるみん・えるぼし等の上乗せ | +5%(最大30%) |
ここでの「継続雇用者」は、適用年度と前事業年度の全期間の各月に給与の支給を受けた国内雇用者で、雇用保険の一般被保険者に限られ、継続雇用制度の対象者は除かれます。中途入社・中途退職者が全員落ちるため、集計の手間は中小企業向けとは比べものになりません。中小企業者等に当たるなら、まず中小企業向けで検討するのが実務の定石です。
個人事業主の場合
個人事業主も同じ枠組みで所得税額から控除できます。根拠は租税特別措置法10条の5の4で、中小事業者向けの措置は第3項、繰越控除は第4項に置かれています。法人と違って「事業年度」ではなく「その年」で判定し、事業を開始した年・廃止した年は対象外です。詳細は国税庁のタックスアンサー No.1288 給与等の支給額が増加した場合の所得税額の特別控除を確認してください(こちらも改正の反映状況は要確認です)。
中小企業向けの要件と控除率|計算例で確認する
基本要件は「雇用者給与等支給増加割合1.5%以上」
中小企業向けの基本要件はシンプルです。
(当期の雇用者給与等支給額 - 前期の雇用者給与等支給額)÷ 前期の雇用者給与等支給額 ≧ 1.5%
ここでいう雇用者給与等支給額は、損金算入される国内雇用者に対する給与等の支給額です。中堅企業向けと違い、継続雇用者に絞る必要はありません。パート・アルバイトを含めた全員が対象になるので、集計は賃金台帳の合計から作れます。なお、前期の雇用者給与等支給額が0の場合は要件を満たさないものとされます。
注意点として、国内雇用者からは役員、役員の親族など特殊の関係のある者、使用人兼務役員が除かれます。役員報酬を上げても賃上げ促進税制の分子にはなりません。同族会社で社長の配偶者や子が従業員として働いている場合、その給与も除外対象です。ここを含めたまま計算して要件を満たしたつもりになる、というのは典型的な事故パターンです。
上乗せ要件
- 雇用者給与等支給増加割合が2.5%以上:+15%(合計30%)
- 子育て支援・女性活躍の認定:+5%。具体的には、当期にくるみん認定を受けた/期末にプラチナくるみん認定を受けている/当期にえるぼし認定(2段階目以上)を受けた/期末にプラチナえるぼし認定を受けている、のいずれか
両方を満たせば15%+15%+5%=最大35%です。くるみん・えるぼしは認定取得に数か月かかるため、「今期の申告で使いたい」と言われてから動いても間に合いません。賃上げの見込みが立った時点で顧問先に選択肢として示せるかどうかが、顧問税理士の付加価値になる部分です。
控除上限は法人税額の20%
計算した税額控除限度額がそのまま引けるわけではありません。その事業年度の調整前法人税額の20%が上限です。ここで頭を打つケースが非常に多く、だからこそ次章の繰越控除が効いてきます。
数字を入れて計算してみる
3月決算・資本金2,000万円のA社を例にします(適用除外事業者ではなく、くるみん等の認定はなし)。
項目 | 金額 |
|---|---|
前期の雇用者給与等支給額(比較雇用者給与等支給額) | 8,000万円 |
当期の雇用者給与等支給額 | 8,240万円 |
増加額(控除対象雇用者給与等支給増加額) | 240万円 |
雇用者給与等支給増加割合 | 240万円 ÷ 8,000万円 = 3.0% |
税額控除率(2.5%以上なので30%) | 30% |
税額控除限度額 | 240万円 × 30% = 72万円 |
当期の調整前法人税額 | 300万円 |
控除上限(20%) | 300万円 × 20% = 60万円 |
当期に控除できる額 | 60万円 |
控除しきれない額(翌期以降へ繰越) | 12万円 |
賃上げ額240万円に対して当期60万円が戻る、という規模感です。そして12万円が宙に浮きます。この12万円をどう扱うかが、次章の本題です。
5年間の繰越控除|使えるのに落とすのはここ
中小企業向けには、当期に控除しきれなかった額を繰り越せる措置が設けられており、2026年の改正後も維持されています(措法42条の12の5第3項)。控除しきれなかった額を、その事業年度開始の日前5年以内に開始した事業年度分まで遡って繰り越せます。赤字や税額が小さい年でも賃上げを続けられるようにするための措置です。
繰越控除の要件は「当期の給与総額が前期を超えること」だけ
これは意外に知られていない重要な論点です。繰越控除を使う年度の要件は、条文上「当該法人の雇用者給与等支給額がその比較雇用者給与等支給額を超える場合」とだけ書かれています。つまり、その年度に本体(1.5%以上の増加)の要件を満たしていなくても、給与総額が前期を1円でも上回っていれば繰越分は控除できるということです。
先ほどのA社で続けます。翌期の賃上げが控えめで、雇用者給与等支給額が8,240万円から8,300万円(増加割合0.7%)にとどまったとします。本体の1.5%要件は満たさないので当期分の控除はゼロですが、前期を超えているので繰越分12万円は控除できます(翌期の法人税額の20%の範囲内、かつ当期分の控除後の残額の範囲内)。「今年は要件を満たさないから別表は不要」と判断してしまうと、この12万円が消えます。
もう一点、措置法通達は繰越控除を受ける事業年度において中小企業者に該当している必要はない(ただし繰越額が生じた事業年度終了の時には中小企業者である必要がある)としています。成長して資本金を増やした顧問先でも、過去の繰越分は生きているということです。
最大の落とし穴:明細書を「毎期」添付し続ける必要がある
ここが実務でいちばん取りこぼされます。条文(措法42条の12の5第7項)は、繰越控除の適用要件を次のように定めています。
- 繰越税額控除限度超過額が生じた事業年度以後の各事業年度の確定申告書に、繰越税額控除限度超過額の明細書の添付があること
- かつ、繰越控除を受けようとする事業年度の確定申告書等に、控除対象となる繰越額・控除を受ける金額・その計算明細を記載した書類の添付があること
「以後の各事業年度」には、繰越控除を受けない事業年度も含まれます。つまり、繰越額が発生した翌期に賃上げがなく制度を使わない年であっても、明細書だけは付け続けなければならない。1期でも抜けると、そこで繰越の連鎖が切れます。さらに、繰越額の定義そのものが「適用年度まで連続して青色申告書の提出をしている場合の各事業年度」に限られているため、青色申告の連続性も条件です。
担当者の交代や会計ソフトの乗り換えを挟むと、この「使わない年の明細書」が真っ先に落ちます。繰越額が出た年には、申告書のファイルと翌期のチェックリストの両方に「賃上げ繰越あり・別表添付必須(あと◯年)」と残すのが確実です。決算前に何を確認しておくべきかは、中小企業が期末3ヶ月前から打てる決算対策チェックリストにまとめた項目とあわせて運用すると漏れにくくなります。
別表の実務と、国税庁が名指しする記載誤り
どの別表を使うか
令和8年4月1日以後に終了する事業年度分では、次の様式を使います(国税庁「令和8年4月以降に提供した法人税等各種別表関係」)。
様式 | 内容 |
|---|---|
別表六(二十四) | 給与等の支給額が増加した場合の法人税額の特別控除に関する明細書(本体) |
別表六(二十四)付表一 | 給与等支給額、比較教育訓練費の額及び翌期繰越税額控除限度超過額の計算に関する明細書 |
別表六(二十四)付表二 | 雇用者給与等支給増加重複控除額の計算に関する明細書(地方活力向上地域等の税額控除と併用する場合) |
繰越額は付表一で計算します。前章の「毎期添付」は、実務上この付表一を毎期付け続けることを意味します。
注意していただきたいのは、この別表の番号は年度ごとに振り直されるということです。同じ賃上げ促進税制でも、令和4年4月1日以後終了事業年度分では別表六(三十一)、平成30年4月1日以後終了事業年度分では別表六(二十四)、令和2年・3年当時は別表六(二十五)や(二十八)といった具合に番号が動いています。過年度の修正申告や更正の請求を扱うときに、番号だけを頼りに様式を探すと確実に間違えます。必ず「その適用年度に対応する様式一覧」から選んでください。別表全体の構造や整合の取り方については、法人税申告書 別表の書き方と別表四・別表五(一)の整合で解説しています。
国税庁が「誤りが多い」と名指しした欄
国税庁は別表を使用するに当たっての注意点(中小企業向け賃上げ促進税制の適用に当たっての注意点)という異例のページを出しており、そこでこう指摘しています(要旨を抜粋)。
「比較雇用者給与等支給額」の欄には、適用年度と前事業年度の月数が異なる場合や組織再編成を行っている場合などに該当しない限り、前事業年度における雇用者給与等支給額を記載することになりますが、当該前事業年度に退職した従業員に対する給与等の支給額を差し引いて記載する等の誤りにより、本来であれば本税制の適用を受けることができないにもかかわらず本税制の適用を受けている事例や、誤って算出された金額に基づいて本税制の適用を受けている事例が見受けられます。
要するに、「前期に辞めた人の給与を前期の金額から抜いてしまう」という誤りが多発しているということです。継続雇用者ベースの中堅企業向けの感覚を、雇用者給与等支給額ベースの中小企業向けに持ち込むと、まさにこれが起きます。中小企業向けでは、前期に退職した人の給与も前期の金額にそのまま含めます。分母が小さくなれば増加割合は不当に大きく出るので、要件を満たしていないのに満たしたことにしてしまう。税務調査で否認された場合、控除対象雇用者給与等支給増加額は当初の申告書に添付した書類の記載額が限度とされるため、修正申告や更正の請求で増やすこともできません。
「他の者から支払を受ける金額」の扱いが直感に反する
ここは条文と通達を両方読まないと間違える箇所です。整理すると次のようになります。
- 補塡額は給与等の支給額から控除する:出向元法人が出向先から受け取る給与負担金、給与負担の軽減を目的とすることが明示された補助金・助成金などが該当します。
- 雇用調整助成金等は「補塡額」から除かれる:雇用保険法62条1項1号の事業として支給される助成金(雇用調整助成金・産業雇用安定助成金・緊急雇用安定助成金など)と、役務提供の対価は補塡額に含まれません。つまり要件判定の分子・分母からは差し引きません。
- ただし控除額の上限計算では差し引く:控除対象雇用者給与等支給増加額は、雇用安定助成金額を控除した後の「調整雇用者給与等支給増加額」が上限とされます。
言い換えると、雇用調整助成金は「要件判定では無視、控除額の頭打ちでは考慮」という二段構えです。コロナ禍で雇用調整助成金を受けた顧問先の過年度分を扱うとき、ここを一律に処理すると数字が合いません。
もう一つ実務的に効くのが、通達が明示している看護職員処遇改善評価料や介護職員処遇改善加算の扱いです。これらは診療報酬・介護報酬という公定価格の取引金額に含まれる額であり、役務提供の対価の性質を持つため補塡額に該当しないとされています。医療・介護法人を顧問先に持つ事務所は、ここを差し引かないのが正しい処理です。
そのほか、押さえておきたい落とし穴
- 前期と当期の月数が違う場合:決算期変更などで月数が異なるときは、比較雇用者給与等支給額を月数按分します。1か月未満の端数は1か月に切り上げます。
- 「常時使用する従業員の数」の数え方:通達により、常用か日雇いかを問わず事業所に常時就労している職員・工員等の総数で判定し、繁忙期に数か月従事する者も含めます(役員は除く)。
- 他の特別控除との併用:地方活力向上地域等において雇用者の数が増加した場合の税額控除(措法42条の12)の適用を受ける場合、その計算の基礎となった者の給与等の支給額に相当する額を控除対象から除きます。これが別表六(二十四)付表二の役割です。
- そもそも別表四での加減算とは別物:賃上げ促進税制は所得計算ではなく税額控除なので、別表四には出てきません。所得計算側の調整と混同しないでください。別表四で何を加算・減算するかは、法人税 別表四 加算・減算 一覧と留保・社外流出の判定で整理しています。
賃上げ促進税制の実務でAIをどう使うか
ここまで読んでいただければ分かるとおり、この制度は判断そのものは条文と国税庁資料を読むしかない領域です。ではAIは何に使えるのか。答えは「下ごしらえ」です。具体的には、①該当しそうかの当たり付け、②給与データ集計の段取り作り、③顧問先への案内文の下書き、の3つに絞ると効果が出ます。
使い方1:該当判定の当たり付け
顧問先が数十社ある事務所では、「どこを詳しく見るべきか」を絞る作業に時間がかかります。ここはAIに壁打ちさせると速いです。重要なのは、制度の内容をAIに思い出させるのではなく、こちらが確定させた要件をプロンプトに書き込んで、当てはめだけをさせることです。
あなたは法人税実務の補助役です。以下の【前提となる制度要件】だけを使い、
あなた自身の知識で制度内容を補完・修正しないでください。
要件に書かれていない事項は「情報不足」と回答してください。
【前提となる制度要件】(令和8年4月1日以後に開始する事業年度・中小企業者等向け)
- 対象: 青色申告書を提出する中小企業者等(資本金1億円以下等)。設立事業年度は不可。
- 基本要件: (当期の雇用者給与等支給額 - 前期の雇用者給与等支給額) / 前期の雇用者給与等支給額 >= 1.5%
- 控除率: 1.5%以上で15%、2.5%以上で30%、くるみん・えるぼし等の認定があれば+5%
- 控除上限: 調整前法人税額の20%。控除しきれない額は5年間繰越可能。
- 雇用者給与等支給額から除く者: 役員、役員の親族等の特殊関係者、使用人兼務役員
【顧問先データ】
会社名: 【顧問先名】
決算期: 【YYYY年M月期】
資本金: 【金額】
前期の雇用者給与等支給額(役員等を除く): 【金額】
当期の雇用者給与等支給額(役員等を除く): 【金額】
調整前法人税額の見込み: 【金額】
くるみん・えるぼし認定: 【あり/なし】
【出力】
1. 増加割合(小数第2位まで)と、基本要件の充足可否
2. 適用される税額控除率とその根拠
3. 税額控除限度額、控除上限、当期控除額、翌期繰越額
4. この判定のために追加で確認すべき事項(適用除外事業者、大規模法人の持株比率、
前期と当期の月数の一致、雇用調整助成金の有無 など)を箇条書きで
うまくいかない例と直し方。「賃上げ促進税制が使えるか教えて」とだけ聞くと、AIは学習データにある改正前の情報(最大45%、教育訓練費の上乗せ、大企業向け措置)を混ぜて返してきます。実際、2026年9月時点でも改正前の内容で答えるモデルは珍しくありません。要件を自分で書き、「知識で補完するな」と明示的に禁じることで、AIの役割を計算と当てはめに限定できます。これが賃上げ促進税制でAIを使うときの唯一のコツと言っていい部分です。
使い方2:給与データの集計の下ごしらえ
賃上げ促進税制で時間を食うのは、判断ではなく集計です。賃金台帳から役員・役員の親族・使用人兼務役員を除き、前期と当期を同じ定義で並べる。この段取りを作るところにAIを使います。
【顧問先名】の賃上げ促進税制(中小企業者等向け)の計算に使う
「雇用者給与等支給額」の集計手順を作ってください。
前提:
- 元データは給与ソフトから出力した賃金台帳(CSV)。列は
【社員コード / 氏名 / 区分 / 支給月 / 基本給 / 各種手当 / 通勤手当 / 賞与 / 総支給額】
- 対象年度: 前期【YYYY/M〜YYYY/M】と当期【YYYY/M〜YYYY/M】
- 除外する者: 役員、役員の親族等の特殊関係者、使用人兼務役員
出力してほしいもの:
1. 除外対象者を特定するために、どの列をどう見て判定するかの手順
2. 前期・当期を同じ定義で集計するためのチェック項目(中途入社・中途退職者の扱い、
賞与の帰属期、通勤手当の扱い、月数が異なる場合の注意)
3. 集計結果を検算するための、別の角度からの照合方法を2つ
4. この作業で人間が必ず目視すべき箇所
※金額の計算・判定は行わないでください。手順とチェック項目だけを出してください。
ポイントは「金額の計算はさせない」と明記していることです。AIに数値を集計させると、桁の読み違いや行の取りこぼしが起きても外から見えません。手順とチェック項目を作らせ、集計自体は表計算ソフトと人間の目で行う。この線引きが、賃上げ促進税制のように1つの数字のズレが要件充足の可否を反転させる制度では特に重要です。給与データの検算をAIでどこまでやるかは、給与計算のチェックをAIで行う検算プロンプト集の考え方がそのまま応用できます。
使い方3:顧問先への案内文の下書き
2026年の改正は、顧問先にとっては「使えると思っていた上乗せが無くなった」という話です。伝え方を間違えると不信につながるので、事実と対応策をセットで出す文面が要ります。
顧問先向けの案内文(メール)を作ってください。
宛先: 【顧問先名】ご担当者
決算期: 【YYYY年M月期】
伝える内容:
1. 令和8年度税制改正により、賃上げ促進税制の「教育訓練費の上乗せ(+10%)」が
令和8年4月1日以後に開始する事業年度から廃止されたこと
2. その結果、中小企業向けの最大控除率は45%から35%になったこと
3. 一方で、基本の控除率(1.5%以上で15%、2.5%以上で30%)、
子育て支援・女性活躍の認定による上乗せ(+5%)、
法人税額の20%を超えた分の5年間の繰越控除は維持されていること
4. 御社の今期の見込みでは【該当見込み/要確認】であること
5. こちらで確認したい資料(賃金台帳、前期比較、認定の有無)
条件:
- 400〜500字程度、専門用語には簡単な補足を付ける
- 不安を煽らず、こちらで確認して連絡する旨を明示する
- 断定できない部分は「現時点の見込み」と明記する
うまくいかない例と直し方。「賃上げ促進税制の改正について案内文を書いて」とだけ指示すると、AIが改正内容そのものを創作します。伝えるべき事実を番号付きで全部こちらが書き、AIには文章化だけをさせるのが正解です。この使い方なら、事実の正確性は100%こちらが担保できます。
AIに任せてはいけない判断
線引きをはっきりさせておきます。次の4つは、どれだけ性能の高いAIでも最終判断を委ねてはいけません。
- 適用期限と控除率:本記事で見たとおり、公的機関の解説ページですら改正の反映にタイムラグがあります。AIの学習データはさらに古い可能性が高く、しかも古い情報ほどWeb上に大量にあるため、もっともらしく改正前の数字を返します。
- 条文の適用可否:適用除外事業者かどうか、大規模法人の持株要件に当たるかどうかは、資本関係と過去3年の所得を実際に確認しないと判定できません。
- 数値の最終確定:賃金台帳の集計は、1人分の漏れが要件充足の可否を変えます。
- 顧問先への最終回答:税理士法上の責任が発生する助言そのものは、当然ながら人間の仕事です。顧問先データをAIに入力してよいかの線引きは、顧問先データはAIに貼ってよいか(税理士法38条・守秘義務の判断基準)もあわせて確認してください。
逆に言えば、「こちらが確定させた事実を渡して、当てはめ・段取り作り・文章化をさせる」使い方なら、AIは賃上げ促進税制の実務でしっかり時間を返してくれます。汎用のAIチャットでもここまではできます。そのうえで、国税庁のタックスアンサーや条文といった公的情報を参照しながら答えるように作られた業務特化型のAIであれば、要件をこちらが全部書き写す手間そのものを減らせます。士業AIの税務AIはこの発想で作っており、税理士・会計事務所向けの税務AIでは、申告書チェックや税法調査の補助を実務のフォーマットに沿った形で扱えるようにしています。どこまでをAIに任せ、どこから人が見るかを設計するのが、結局いちばん効きます。
まとめ|2026年時点のチェックリスト
最後に、顧問先ごとに確認すべき項目を並べます。
- 青色申告か。設立事業年度・解散事業年度・清算中でないか
- 中小企業者等に当たるか(資本金1億円以下、大規模法人の持株、適用除外事業者に当たらないか)
- 雇用者給与等支給額から役員・役員の親族等・使用人兼務役員を除いたか
- 前期の金額から、前期に退職した人の給与を抜いていないか
- 前期と当期の月数は同じか。違うなら按分したか
- 増加割合は1.5%以上か。2.5%以上なら控除率30%
- くるみん・えるぼし等の認定はあるか(+5%)
- 教育訓練費の上乗せは、令和8年4月1日以後に開始する事業年度では使えない
- 調整前法人税額の20%を超えていないか。超えた分は繰越額として付表一で計算したか
- 過去に繰越額が出ている顧問先について、制度を使わない年も含めて毎期明細書を添付しているか
- 雇用調整助成金がある場合、要件判定では差し引かず、控除額の上限計算では差し引いたか
賃上げ促進税制は、適用期限が令和9年3月31日までに開始する事業年度と決まっており、大綱ではその期限をもって中堅企業向けが廃止されることも示されています。中小企業向けについても、期限到来時に見直しが検討されると財務省は述べています。制度が動いている最中の税制なので、申告のたびに「その年度の条文と、その年度の様式」を確認する運用に切り替えてください。そしてその確認だけは、AIではなく一次情報で行ってください。
制度型の特例をどう拾うかという意味では、少額減価償却資産の特例(40万円未満を一括経費にする方法)や事業承継税制の特例措置と一般措置の違いも、同じく「要件の確認漏れで使い損ねる」典型です。あわせて点検しておくと、決算前の打ち手が一段増えます。
参考文献
- e-Gov法令検索「租税特別措置法」(第42条の12の5・第10条の5の4の現行条文)
- 国税庁「令和8年度法人税関係法令の改正の概要」
- 国税庁 タックスアンサー No.5927-2 給与等の支給額が増加した場合の法人税額の特別控除(中小企業者等における賃上げ促進税制)
- 国税庁 タックスアンサー No.1288 給与等の支給額が増加した場合の所得税額の特別控除
- 国税庁「第42条の12の5《給与等の支給額が増加した場合の法人税額の特別控除》関係」(租税特別措置法関係通達)
- 国税庁「別表六(三十一)を使用するに当たっての注意点(中小企業向け賃上げ促進税制の適用に当たっての注意点)」
- 国税庁「令和8年4月以降に提供した法人税等各種別表関係(令和8年4月1日以後終了事業年度等分)」
- 財務省「令和8年度税制改正の大綱の概要」
※本記事は2026年9月10日時点で、上記の一次情報を実際に取得して確認した内容に基づいています。制度の内容・適用期限は改正により変わります。実際の適用にあたっては、必ずその事業年度に対応する条文と国税庁の最新情報をご確認ください。

